++ その祈り、純白に溶け行く ++

 

誰もが寝静まった頃を見計らって、薄暗い廊下に出る。
暖房の効いた自室のドアを開けた途端、想像以上の、刺すような冷気に襲われ背筋が凍えた。


「そういえば」と、神田は今朝方、自室の窓に吹き付ける雪模様を思い出した。 生憎、彼はその日一日、自室に鍵をしっかりとかけてひたすら篭っていたので、外気がこれほどまでに冷えているとは予想外だったのだろう。つん、とした冷気が鼻先を掠め、思わず滲んだ光景を振り払うように、乱暴に目元を拭った。

周囲は昼間の喧騒が嘘の様に、外に降り続く雪に吸い込まれるように、小さな物音一つ聞こえず静かだった。その静けさに、無意識の内に安堵する。思えば昨日から、己の身の回りを行ったり来たりと忙しなく付きまとう、子犬のような男(まだ少年、か)が、煩わしくて仕方が無かったのだ。耳を塞いでも聞こえて来る声に痺れを切らして、神田はついに、最終手段とばかりに昨夜から今夜に至るまで、鍵をかけた自室に閉じ篭った。だからこそ、というのもあるのだろう。まるで数日振りのような外の空気に、心持安堵するのも頷ける気がしていた。


12月25日


あと数十分もすれば、日付も変わるのだろうが、今はまだ、12月25日だった。 我らが主と謳われる、『神』の聖誕祭であるこの日は、否が応でもヴァチカン目下の組織であるならば見過ごすことなど出来ない日であろう。例外に漏れず、黒の教団本部でも前夜からささやかな催しが開かれ、一夜明けた今朝からは、例年通り聖堂で厳かにミサが執り行われていたはずだ。元々この国の言う『神』という存在にあまり信仰は無い神田であったが、その実、彼はコチラに来てから今まで、この聖夜に行われるミサを外れた事は無かった。それは最早、「信仰」というよりは「習慣」のような物で、幼い頃からこの場所へ居る彼にとって、毎年12月のこの日に形ばかりにも祈りを捧げる事は、欠かせないモノの一つとなっていた。

長い廊下を無意識に、足音を忍ばせて進んで行くと、ご丁寧にも盛大豪華に彫刻された扉に突き当たる。金属性の取っ手にかけた手が、ひやりと冷えた。構わず、重い扉を開いていくと、ギィ、と錆付くような音だけが、やけに耳についた。

聖堂の中は、祭壇付近にのみ、灯りが灯されたままだった。
静まり返った薄暗い堂内は、ピリリとした雰囲気に包まれていて、無意識に背筋が伸びるようだ。祭壇の前へ進んで見上げれば、教団の象徴であるクロスが掲げられている。僅かな灯りに浮かび上がるようなソレを、少し睨み付ける様に見上げながら、神田は膝を折り、指を組み、その昔「教えられた通り」に聖句を唱える。我ながら、慣れたものだと思った。昔は戸惑いながら口にした言葉すら、今では無意識に口をついて出る。そうして最後に、毎年同じ祈りを捧げて来た。

世界を救う術よりも唯一つ、焦がれた存在への祈りを。

そうして、今年も滞りなく「習慣」を終えた彼は、指を解こうとしてふと顔を上げた。
大きなガラスが嵌め込まれた窓が、降り続き、吹き付ける雪に染め上げられ、真白になっている。何の変哲も無い、ただの雪だ。けれど、その白は確かに、彼の目を捉えて離さなかった。頭に浮かぶのは唯一人。脳裏に響くような声の持ち主もまた、一人だった。


―そうだ彼は、何と言っただろう。


煩わしくも、何度も繰り返された言葉は今も、神田の脳裏に焼き付いて離れなかった。
一言一句と逃れもせず、この耳で捕らえた言葉は確かに、彼の中に生きていた。だからこそ、この指は今も尚、離れる事を拒むのだろうか。

家族ができた日なのだと、彼は笑っていた。
家族に見放された日でもあるのだと、彼は少し、泣いた。

だからこそ、神田には分からなかったのだ。
養父が与えてくれた誕生日だから、と言って昨晩から付きまとわれていたけれど、彼にとって複雑である一日に。笑い、泣き顔を見せるような一日に、神田にはどうしても、「祝い」の言葉を言う気になどなれなかったのだ。



指先が冷え切ってゆく感覚に、神田は意を決したように、頭上のクロスを見上げた。
先程よりもゆっくりと、今一度聖句を唱えると、張り詰めた空間に響き渡って行く。





そうして彼は、初めて二つ目の祈りを口にした。







「彼の心がこれ以上、凍てつく寒さに晒されませぬよう―」

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手直しで悶々としていたら本当にギリギリになってしまった…(現在、25日23時)
どうでも良さ気な事で悶々と悩んでる神田はバカで可愛いと思います。

どうでも良いけど、日本人程、自国の神への信仰が薄い民族って無いよなぁ。
何はともあれ、拾われ記念日おめでとうアレン様!笑(それ、祝ってるの?)